学びで色づくわたしの世界

知らないと見えない世界がある。学ぶことで自分の人生を豊かに。そんな自分の学びを発信します。

わたしの歴史と未来

おはようございます

こんにちは

こんばんは

 

今回はわたしのことと、

わたしのやりたいこと、将来の夢を綴っていきたいと思います。

 

さっそく自己紹介。

はじめまして、

七福 杏奈と申します。

 

現在は学習院大学 経済学部 経営学科に所属してます。

 

ただの自己紹介ではつまらないので、

たった20年のわたしの歴史を語りたいと思います。

 

【出生から高校入学まで】

わたしは1998年の冬至の日に日本のどこかで生を授かりました。

「日本のどこか」というのは自分の出身地について詳しく知らないからです。

 

自分が18歳まで信じていた出身地は東京で、

記憶にある暮らしも東京のみです。

 

人見知りで表情筋が硬いけれど、

素直な子だったと思います。

 

そんなわたしは小学5年生の時「ふたつのスピカ」というNHKのドラマに夢中になり、

天文学者」という夢を得ました。

 

そこからは

天文学者になるためには何をすればいいのか、という逆算方式で

 

国立天文台で働く→国立天文台東京大学のもの→東大に入る

→一番東大の合格率が高い都立は日比谷高校

 

というルートを自分で描き、

見事、都立日比谷高校に入学しました。

 

【人生初の挫折】

ここまでは自分の描いた通り。

順風満帆。

しかし人生そううまくはいきません。

 

死ぬ物狂いで入った日比谷高校は

当たり前ながら自分の能力よりはるかに上の人間ばかりでした。

 

所謂、人生初の挫折。

高校1年の夏には天文学者という夢は諦め途方にくれる日々を過ごしていました。

 

そして高校2年のとき、

倫理」という科目に出会います。

 

日比谷の倫理の先生は本当に凄いお方で、

なぜかいろんな微生物を知っていたり、翻訳や鍼灸の資格を持っていたりする方でした。

 

そんな尊敬できる方から学ぶいろんな考え方に感銘を受け

そのまま文転しました。

(もともと天文学者になりたかったので理系でした)

 

特に自分の心に残ったのは中国思想「荘子」の考え方です。

(これはまたどこかの機会に紹介します)

 

さて、高校3年受験期を迎え

哲学科を目指しそれなりに勉強していた時期に

わたしの人生最大の過渡期が訪れます。

 

 【父の変容と家庭崩壊】

父が躁鬱状態になってしまったのです。

 

ある時突然変わったわけではありませんが、

気づいたらそうなっていました。

 

鬱状態のようになった父は手がつけられず、

どうにか自分に当たられないようにビクビクした生活が1年続きました。

 

音楽を好きだったわたしは、家でも外でもイヤホンで音楽を聴いていましたが、

 

父が帰ってきたときの車のエンジン音

玄関を開ける音

階段を上る音

 

いろんな音に敏感になった結果、

音が嫌いになりました。

 

大げさかもしれませんが、

当時のわたしは本当に

「このままここで生きる価値」と「死の恐怖」を天秤にかけていました。

 

死ぬことが怖いから生きていたのです

 

そして時は過ぎ、

2017年2月8日。

学習院大学経済学部の入学試験の次の日の夜のこと。

 

ついに父に殴られメガネのレンズが吹っ飛びました。

 

ここで母がパニックになって110番を100番と押し間違えなかったら

確実に有罪にできたのに…と思います。

 

わたしが殴られたことで糸が切れた母は

次の日わたしを連れてトランク一つで家を出ました。

 

父方の祖父母に離婚と金銭的援助を頼みに行って了承をもらった次の日に、

書面を書いてもらいに行ったら「了承などしていない」と言われ

親子で人間不信になったり

 

母方の祖父母には都合が悪くなったわたしたちを遠ざけられたり

 

信じられるのは自分たちしかいない状況で

母娘2人暮らしが始まりました。

 

2月9日以降の入試は精神的ショックで受けに行くだけ行った状況だったので

もちろん全滅でした。

 

【大学入学から自分の出生の秘密】

そして今所属している学習院大学に入学し、

大学生活が始まりました。

 

受験期のことも入りたかった大学じゃないこともあり

楽しい大学生活の始まりとは程遠い状態でした。

 

引っ越した家が妙に怖かったり

精神や感覚が敏感になり過ぎていろんなものに反応してしまったり

大変でしたが、

母と2人、安全で楽しい毎日だったと思います。

 

そして2017年12月。

次の年の春に短期留学に行くことにしたわたしは、

留学準備のためあるものが必要でした。

 

そう、パスポートです。

 

そしてパスポートを作るために自分の住民票が必要でした。

 

そこで居住地の役所にて住民票を発行してもらうと

父の欄に別の人の名前があったのです。

 

驚き過ぎて笑いました。

 

こんなドラマみたいなことがあるんだ!!と思いました。

 

どうらや私の出生地は岩手?だったようです

生まれて間もない頃はそっちに住んでいて

生物学上父方の祖父母はとてもいい人だったと母が言ってました。

 

この衝撃の事実を知り、

わたしの中の育ての父に対する印象と思いが少し変わりました

 

母がわたしの生物学上父と離婚し

育ての父と出会っていなかったら

わたしは日比谷高校には入れていないし

全く違う人生を歩んだことでしょう。

 

この人生だから出会えた人がいて

その人たちがいなかったら本当に今の自分はないと思っているので、

 

母と出会ってこの東京という地に住まわせてくれたことに

ありがとう」と父に対して思えるようになりました。

 

それからわたしは本当に幸せに生きています。

小さな嫌なことや悩みはあったとしても

総評するととても幸せです。

 

ではここからわたしのやりたいことについて綴っていきたいと思います。

 

【わたしの将来の夢】

わたしは小さい頃から自分の家を持つことが夢でした。

美女と野獣に出てくるような大きな図書室のある家を持ちたいとずっと思っています。

 

そして、

そこでこどもたちにいろんな学びを提供したいと思っています。

 

これが今の最終的な将来の夢です。

 

改めて振り返ってみても

いろんな人たちに支えられて今に至っています。

 

幸いなことにわたしは恩師に恵まれ、

小学校・中学校・高校と尊敬できる恩師に出会えました。

母も恩師と言えます。

 

いろんなことを学ぶ機会をくれた

いろんな価値観を見せてくれた

ときに厳しく自分を導き、自分の道を応援してくれた

 

しかし、そんな恵まれた環境にいるのはごく少数です。

 

だからこそわたしは、

そんな風にわたしを導いてくれた人たちのように

こどもたちに学ぶ楽しさを伝えたいと思っているのです。

 

今はまだ家庭教師をいう小さな活動ですが、

自分が60歳になったときに

たくさんのこどもたちが楽しく学ぶ憩いの図書館ができたらと思っています。

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