カテキョ日記9E
今日はEさんの授業でした。
私が家に着くとすぐさま発狂。
最近発狂する回数が減っていたのでこんなに発狂するなんて絶対学校か家かなにかあったな、とお察し。
授業が始まると少しの間は大人しく宿題をやっていたのですが、突然「ちょっとどいて」という仕草をされ立つと、扉の引き出しからいらなくなった1年生のときのノートを取り出しました。
いやそれでなにするの?と思っていた矢先、突然机に向かって全力でノートを叩きつけはじめました。
ものすごい音と風。
そのうちノートは破壊され、床にはちぎれたノートのページが。
思わずやめろ!と強く言いそうになったのですが、あまりに長いことそれをやってるので、このままやめろって言ったって意味ないなと思い、会話を試みます。
単純な疑問として何故こんなことをするのか訳が分からなかったので聞いてみます。
「どうしたどうした。何でそんなことしてんの」
すると喋りたくは無いのか散乱したページの空きスペースに「イライラする」と。
ふむふむ、イライラするからノートを叩きつけてると。
「ではなぜイライラしてるの」と聞くと、
「学校いきたくない」とまた書いてくれました。
この調子でなぜ?なにが?を繰り返し聞いていったところ、
学校に行きたくない
↓
ゲームできないから
登下校に1キロも歩かなきゃいけないから
さらにその1キロを険悪な関係にある姉と行かないといけないから
とのことでした。
他にもいろんなことを無言のまま書いてはノートを叩きつけるを繰り返し。
ストレス発散に破壊衝動があるんだそうです。
当たり前ですが、ストレス溜めてあまり推奨できない発散方法を繰り返すのは良くないですね。
なのでそのまま今度はその2つの解決策を考えながら提案していきます。
「姉と通うのはルールなの?」
「ちがう」
「じゃあ1人で行けば?」
「つまらないから嫌」
「こっち方面の友達いないの?」
「いない」
友達作戦は終わりました()
本当だったら同じ方向の友達と話しながら帰ることであっという間の帰路、そして遊ぶ約束も取り付けてお互いの近くの公園で遊ぶ、というのが私の頃の定番だったので、そうしたかったのですが、どうやら無理なようです。
実際彼の家は本来その小学校の学区ではないのですから当たり前かもしれません。
そうなったら仕方ないので1人を楽しめるようになるしかありません。
電子機器の持ち込みは禁止だろうけど、
「スマホは家の外で使っちゃダメなん?」
「ダメではないけど登校には持っていけない」
まぁそうですよね。
けど、1人で1キロを楽しむって音楽か写真か空を見て歩くかくらいしかないですよね。
私の場合は一人で帰ってると思って鼻歌歌って帰ってたら後ろに友達がいたという恥ずかしい記憶がありますが、1キロ鼻歌歌って帰るのはさすがに難しい。なら曲を聞けるといいと思ったのですがダメですね。
私の当時の小学校までの片道は600mほどなので、彼はその倍歩いてるということになります。
足腰鍛えられるね笑
じゃあ方向性を変えていきましょう。
ゲームがしたいのは分かるが、破壊衝動が出るあたり確実に体力を持て余してるのではないかと推測。
「他に好きなことはないか、主にスポーツなど」と聞いてみると、「ない」の即答。
困ったね〜
ほんとに今の子は〜って思うけど、ここの家はお母さん以外全員ゲーム好きだから仕方ないでしょうね。
特にお父さんがゲームしてるんですから、それを見て子供も当たり前にゲームをするようになりますよ。
はぁ、困った。
なにか他に楽しいことを見つければゲームがしたいから学校行きたくないという考えはなくなるし、体を動かして疲れていれば破壊衝動なんて起こらないと思うのですが、どうやら体を動かすのは疲れるからいやだそうです笑
分かるけどもね。
やれば楽しいよ。
他にも姉とはなぜ険悪な関係なのか、なぜストレス発散が破壊衝動に繋がると思うか(これはどうやらYouTubeの影響らしい)、影響を受けているYouTubeはどんな人でどんなことをしてる人なのか、なぜ自分はサイコパスだと思うのか、どこからそういう情報を仕入れてるのか、など色んなことを聞きました。
色々わかったことの中で大切なこととして、ゲーム繋がりのYouTubeの影響で発狂や破壊衝動をかっこいいと思っていること、というのが1番に上がると思いました。
こういう感性を手に入れてしまった場合、それを消すことはできません。
じゃあこのままずっとこんなことするのか、と言えばそうでもありません。
よりかっこいいと思うもの、より美しいと思うもの、感動する体験を見つけることで容易く変わると思います。
つまり、感性は感性で上塗りすればいいのです。
そのために大切なのはいい影響を与え続けることしかありません。
先程も言いましたが、親がゲームをする姿を子供に見せれば子供はゲームをします。
逆に親が勉強する姿を見せれば子供は勉強するのです。
自分がやっていることは棚に上げて子供に理想を押し付けることはできません。
親の影響はモロに子供の行動に出ると思います。
そして彼はスマホから自分と同い年くらいのYouTubeの発狂キッズを見つけ、それに良くも悪くも心を動かされたから今の行動があるわけです。
それを変えるためには、感動体験を与えるのが手っ取り早いのです。
例えば男の子が憧れそうなスポーツ映画を見て感動すれば、やってみたいかも、となります。
それを一緒にやってあげるのです。
上手くいかないこともあるけど、1時間も練習すれば少し上達します。
それをしっかりと認め、褒めることで「楽しい」と思わせるのです。
そうすれば彼はそのスポーツが好きになるでしょう。
他のことでもいいのです。
分かりやすく綺麗な絵画展を見に行って、興味を持つなら絵を描いてもらって、うまくかけなくても認める・褒める。
この一連の流れで感性は見について行くのです。
触れていない感性を手に入れることはできません。これは大人も子供も関係ありません。
メジャー音楽の聞き方が歌詞メインの人にアンサンブルの美しさを語っても意味が無いのです。
その人には楽器ひとつずつを聞く習慣なんてないのですから。
逆に音ばかり聞いて歌詞を見ない人に歌詞の良さを語っても意味が無いのです。
その人は詞に着目するなんていう習慣がないのですから。
何を美しい、かっこいいと思うかは人それぞれです。
ですから子供のうちに色んな経験をして、色んな感性に触れて、自分の美しいと思う感性を取り入れて磨いていくサイクルが必要になるのです。
それができなかった、その機会を与えられなかった人間は何が好きなのか分からない、どうすればいいか分からないなどとなります。
一般常識的に悪影響を受けた人はそれは凶悪な人間になるかもしれません。
それを彼本人に今言ったところで受け入れないだろうと思ったので、これはお母さんに伝えました。
家庭でそういうことが出来るならやること、やれないなら授業の一環としてやることはできるし、今は算数の計算や漢字の書き方よりそういうことを優先させるべきだと思うということも。
ま、という感じに暴れるだけ暴れられ、他にも色んなことを聞いて、書いてもらって、話して、とカウンセリングだけで終わってしまいました。
最後は満足したようで、絶対体動かした方がいいと思ったので、散歩したら?と提案したら乗ってくれました。
疲れない運動ならいいらしい。
じゃあ一緒に出るか〜と思ったら、「一緒に散歩」という認識だったようです。
まぁこの後の予定はやることだけ決まっていて時間は決まっていないタスクだったので、一緒にまた色々話しながら散歩しました。
途中で通り雨に当たってしまいましたが、彼はスッキリしたようで良かったですね。
ではまた来週。
七福杏奈
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